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2004年 12月 12日
頭が回らなくなって、ちょっと横になって、たまたま手を伸ばしたところにあった本を少し見てみた。
吉田秀和『ソロモンの歌』(朝日文庫)から、美しいと思った一節。 私は、もちろん、この中原のひどい言葉が本当かどうかもわからず、どうしてそんなことをいうか、推測してみる気にもなれなかった。くりかえすが、私は当時17歳。本をよんでも、人の話をきいても、いってみれば抽象的なものへの情熱でいっぱいで、誰が誰とどうなんてことは、気にならないどころが、知りたくもなかった。(18) これは、若い日の著者が、中原中也の言った小林秀雄の悪口を聞いて、それについての感想を述べたもの。この一節はとてもいい文章だと思う。吉田秀和さんの書くものの魅力のひとつは、こういう青臭さにあるとも思う。 もう1冊、柳瀬尚紀『翻訳困りっ話』(河出文庫)より。 ぼくは音楽が趣味だから、レコードはかなり買う。レコード評なるものにも、よく目を通す。ところが、かなり前からレコード評の活字はほとんど信じなくなった。その理由のひとつが、この「見事」という言葉である。レコード評を書くひとたちというのは、二、三人を除いて、この「見事」だけで原稿料を受け取っているらしい。まあ、もののみごとにみごとが並んでみごたえがある。(28) 音楽評というのは、一種のトンデモ本的なジャンルなのではないだろうか。 こんなことしてる場合じゃなかった。論文論文。死ぬ気でやらなければ。
by wayakutaro
| 2004-12-12 02:20
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