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2005年 08月 20日
丸谷才一さんは『文章読本』(中公文庫)で大岡昇平の『野火』のレトリック分析をしているが、それを意識しているのかいないのか、井上ひさしさんは『自家製 文章読本』(新潮文庫)に志賀直哉の「城の崎にて」を取り上げ、一般には飾りけのない率直な文体と言われている志賀のこの作品が、「強烈に文章を感じさせる」ことを指摘した。
梶井の文体も志賀直哉に代表される私小説のそれと同列に論じられることが多いのだろうと思う。しかし吉行淳之助さんがなにかの対談でぽつりと言ったように、意外とごつごつしている。これは誰が言っていたのか忘れてしまったが、理系の文章と形容されることもある。たしかにそのとおりだと思う。 梶井の文章は、まずひとつの命題のようなセンテンスを書き、それについて注釈を加えていくというパターンが多い。たとえば「檸檬」がそうだ。「えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終圧さえつけていた」とまずあって、そのあとその「不吉な塊」をああでもないこうでもないと書いていく。 これとそっくりなパターンが「瀬山の話」の冒頭にもみられる。「私はその男のことを思うといつも何ともいいようのない気持になってしまう」に始まり、その「気持ち」をあれに似ているこれに似ていると書いていく。 さらにまた、これは梶井に限らないかもしれないが、空間を描くときにも基本的にこのパターンがもちいられる。たとえば「城のある町にて」では、まず「今、空は悲しいまで晴れていた。そしてその下に町は甍(いらか)を並べていた」と書き、その町の風景、小学校や銀行、寺などを書き加えていくところがある。 ごつごつした理系っぽさはひとつにはこういうところにあるのではないかな。
by wayakutaro
| 2005-08-20 00:02
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