カテゴリ
以前の記事
2008年 04月 2008年 03月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 2005年 09月 2005年 08月 2005年 07月 2005年 06月 2005年 05月 2005年 04月 2005年 03月 2005年 02月 2005年 01月 2004年 12月 2004年 11月 2004年 10月 2004年 09月 2004年 08月 フォロー中のブログ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2004年 09月 10日
このごろ気がちってしかたない。
花田清輝『近代の超克』(講談社文芸文庫)収録の「『実践信仰』からの開放」を読み返した。このエッセイは「実感信仰」をマクラに「実践信仰」を批判するもので、どちらかというと「実感信仰」のほうにいま関心があるせいか、少しものたりなく感じられる。その「実感信仰」については、丸山真男の『日本の思想』(岩波新書)に詳しいらしい。この本は古本屋の軒先に雨ざらしになっているにちがいないと思い、数軒のぞいてみたけれど、そう思っているときに限って見つからない。そういうものなのだ。 田中克彦『言語学とは何か』(岩波新書)を読み返しながら、町田健『ソシュール入門』(光文社新書)を途中まで読む。田中さん(こう書くとそのへんの人みたいだ)からひとつメモっておこう。 「ソシュールは『世にいう文法』なるものは、科学としての言語学がとりあつかう対象ではないとはっきり言っている」(26ページ)。 当時の文法は規範文法で、論理をその基礎においていた。つまりそれは言語そのものを見ない、だから批判されたのだ。いまでも学校文法は規範文法なのだろうから、となると英文法は言語学じゃないのだなあ。 町田さんの『ソシュール入門』は、するする読めてしまうのが危険な感じがする。この人は、別の本では、言葉の意味と価値を同一視していた。価値について知りたいと思っていたのに、この本でも触れられていないようす、少し残念。この人のよいところは、ざっくばらんなソシュール批判でしょうか。
by wayakutaro
| 2004-09-10 15:39
|
ファン申請 |
||