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2004年 09月 20日
以前読んでみようとした柄谷行人『日本近代文学の起源』(講談社文芸文庫)には、「風景の発見」という一章があって、それによれば、風景というものは、ただの客体ではないらしいということくらいはわかったものの、しかし率直にいって著者の議論についていけず、この本は途中でほったらかし、そろそろ忘れかけたころ、92年だったと思う、「広告批評」に高橋源一郎氏がたしか「タカハシさんの生活と意見」という連載をしていて、そこで同じように風景論を展開していることを見つけ、この連載を読めば少しは柄谷氏の風景論がわかるようになるかもしれないと期待しながらも、そのうち単行本になってから読もうと思い、ふたたびほったらかした。
さて、おととい、図書館で借りて加藤典洋「武蔵野の消滅」(『日本風景論』所収。講談社文芸文庫)を読んでみた。この論考は、柄谷氏の著作に触発されて書かれたものであるようだ。加藤氏の議論は、柄谷氏のそれが抽象に向かいやすいのに対して、具体へ向かう。1970年に始まった国鉄の「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンの分析など、カルスタのように読めなくもない。柄谷氏の風景論の見取り図を提供してくれるところもあって助かる。
by wayakutaro
| 2004-09-20 23:36
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